2016年11月13日 (日)

私が出会いたい3人

地球の丸さを、知識ではなく体感する自分。

地は馬や徒歩で、海はヨットで、虚空に浮かぶ青い星を一周した時、

地球は本当に丸いんだということを実感した自分。

 

自分が死ぬということを、イメージではなく実感した自分。

必ず来る明日が、自分にとっての最後の一日かもしれないという現実に直面した時、

そこで見た風景、見るもの全てが美しく、尊く感じられる自分。

 

自分と世界との境界が、わからなくなるくらいにボケた自分。

自我が宇宙に溶けてなくなる瞬間、

終わりも始まりもなく、ただ安らぎに還る自分。

 

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2016年10月23日 (日)

忘れてはいけないこと

 虚空に浮かぶ月。

 マイナス270℃の宇宙。

 同じ虚空に私達も浮いている。

 

 虫の音が、まるで空間そのもののように私の周囲に糸を張る。

 二つの耳ではとらえきれないその音に、実は宇宙は満ちていて、私たちはがんじがらめになっている。

 もがけばもがくほど、その糸は絡まって、目を閉じて身をゆだねると、その糸は澄みわたる。

 

 大事なものは既にある。

 太陽の光が作り出した緑の結晶が命を生み、赤い血が土を耕す。

 誰もが順番を待っていて、そこには古いも新しいもなく、ただ延々と、本当の終わりの日まで繰り返される。

 

 宇宙が己を知るために、花開いた小さな触覚でありたい。

 宇宙が何を知りたいのか、 静かに問うことで、

 魂が救われるような気がする。

 

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2016年8月20日 (土)

飛べないカラス

 飛べない豚はただの豚?

 飛べないカラスは何だろう?

 

 何事もなかったかのような清々しい明るい夜。

 低く、薄い雲が夜空を覆っていて、その白く輝くスクリーンの上を煌々と輝く満月が、まるで滑るように動いている。

 その月を見ながら、遥か昔の出来事のように思える、たった一日前の出来事を思い出す。

 

 カラスのぷーちゃんが死んだ。 

 記憶という保管庫に、永遠にしまい込まれようとしているその映像は、既にかび臭いモノクロで、音声もなく、ただ灰色の掛け軸に描かれた水墨画のように、一切の動を消し去ってしまっているかのように思える。

 夜10時過ぎだろうか。

 いつものように、バカの丘のてっぺんまで、車を走らせ帰ってくると、フロントガラス越しに、路上に両手で包み込めるくらいの灰色の塊が落っこちているのが見えた。

 なんとなく、いやな予感がした。

 その塊を通り越して、車を停めた。

 外は霧のような雨が降っていた。

 車を降りて、その塊をよく見ると、うちで飼っていたカラスのぷーちゃんだった。

 外傷は見当たらないが、口から血を流し、既に無数の蟻が頭にたかっていた。

 家族の一員として生きてきた動物が死んだ時、人は一種の錯乱状態というか現実逃避に陥る。

 私は、本当に死んでいるのか体中を触ってみたり、実は違うカラスなんじゃないかと辺りにぷーちゃんがいないか探してみたりした。

 (かみさん、悲しむだろうな。)

 東京に帰省中のかみさんに電話をしたが、夜遅いためか出なかった。

 暗闇にへばりついた灰色の雨は、古いフィルムについた無数のキズのように、音もなく私を包み込んだ。

 剣先スコップを持ってきて、一羽のカラスを埋める穴を掘った。

 雨も音も、スコップに伝わる衝撃も感じぬまま、黙々と穴を掘り、ぷーちゃんをその底に横たえると、無感情に土をかぶせた。


 

 2年前の春、横浜のとある建築解体現場から、たべけんぞうさんがカラスの雛を3羽レスキューしてきた。

 2羽はけんぞうさんが、1羽はうちが引き取ることになった。

 けんぞうさんちの2羽は兄弟(姉妹)がいるためか、けんぞうさんの徹底した世話が功を奏したか、一人前に空を飛べるようになった。

 一方、我が家のぷーちゃんは、親が人間だからか、幼少時に求められる餌やりのハンパない頻度を甘く見て成長が遅れたためか、地上からせいぜい1m程度をバタバタと飛び跳ねるだけの飛べないカラスになってしまった。

 レスキューして、いつか大空へ戻っていってくれればいいと思って、籠の中に閉じ込めずに自由に育てたのに、飛べない為かどこへも行かず、行動範囲は見事に家の周辺だけに留まった。

 飛べないカラスを、最初は不憫に思ったが、当のぷーちゃんは、犬のおからとも仲良しになり、そのうち、ほとんどの時間をおからへの意地悪に費やすようになり、山羊や馬とも共存し、家族の一員として、それなりに人生を楽しんでいるように見えた。

 ちょんちょんと自由にあちこち飛び跳ね、時々、崖下に落っこちてレスキューされたり、そうかと思うと、一つ上の崖の上までいつの間にか自力で上がったりして、私たちを驚かせたりした。

 お気に入りは、(偽)クロックスのサンダルの穴で、いつも鋭くとがった嘴でコツコツと突いてきた。

 いつまでたっても、雛の様にエサをねだって、大きな口を開いて近づいてきたり、玄関の扉をコツコツと叩いて来客かと思わせたり、子ども達の問いかけに何種類かの鳴き声で返事をしたり、ぷーちゃんはいつの間にか、我が家に当たり前にいる愛嬌のある存在となっていた。


 嫌われ者の代表のように言われるカラス。

 

 だが、うちの家族は、カラスの鳴き声を聞くたびに、飛べないカラスのぷーちゃんを思い出し、いつまでも、懐かしい想い出に浸り続けることだろう。

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2016年5月27日 (金)

TOKYO CLASSIC

 ニュージーランドの牧場で、一番最初に習ったことは、馬へのアプローチ(近づき方)だった。

 野生馬を捕まえて飼いならす彼らにとって、いくら調教してあるとはいえ、馬には野生の血が眠っていることを体験から知っている。

 うっかり近づいても、常に一定の距離をおいて逃げられる。

 斜め前に立ち、そよ風のようにゆっくりと、綿毛のように足を下ろす。

 ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる回廊のように、後ろ向きに、ゆっくり歩けば歩くほど、馬への距離は縮まって、馬の方から寄ってくる。

 

 ゴルフの起源は諸説あるが、その昔、スコットランドの寒風吹きすさぶ、ヒースの生い茂る牧場で、羊飼いの少年が、暇つぶしに石を打ってウサギの穴に落として遊んでいたという説が私は好きだ。

 そうすると、ゴルフ場の風景に馬が溶け込んで見えるのは、なんの不思議もなく思える。

 東京クラシックの2コース分15ヘクタールのゴルフ場開発用地にオオタカの巣が見つかって、まるまる草原と森が残ることになった。

 そこの活用法について、オーナーの西村さん、発起人の麦野さんという最強かつ心あるお二人とお話しする機会を頂き、結果、馬の放牧地にしようという夢のような話の展開になった。

 そこから、ゴルフ場周辺部の森に外乗コースをつくり、厩舎や馬場、オーガニックの市民農園、自然や里山で遊べる場をつくろうという展開になった。

 そして、去年の末から、牛舎8号からアドバイスする(好きなことを言う)立場から、西村さん、麦野さんの一助となるべく、本格的に東京クラシックのアクティビティ部門にコミットさせてもらうことになった。

 

 コンセプトは、

「ファミリーで楽しめる真のカントリークラブを目指して」。

 行動の指針として3つの柱を盛り込んだ。

  •  オーガニック organic

  •  アニマル・ウェルフェア(動物福祉) animal welfare

  •  生物多様性 bio-diversity

 言葉は難しいが、簡単に言えば、馬のいる日常つくり。

 ここでいう「馬」は、ファミリーで楽しめる空間の象徴であり、そこでは人も動物も幸せを共有する。

 きれいな空気と水があって、おいしい食べ物とそれを育てる楽しみがあり、音楽や芸術、自然の美が調和して、仲間達の笑い声が絶えない。

 そんな場を創るということだ。


 環境破壊や乱開発の象徴とされてきた日本のゴルフ場だが、東京クラシックが真のカントリークラブを実現し、負のイメージを払拭することができれば、全国に2400あるといわれている他のゴルフ場にも、一つの方向性を提示できるかもしれない。

 

 一つ一つ、積み上げていくことは山ほどあって、完成まで100年かかるかもしれない。

 賛否両論、応援もやっかみもあって、ハード面よりも人の心の熟成の方がよっぽど時間がかかるかもしれない。

 だが、恐らく、ゴールなどというものはなく、世代を継いで、歩き続けることが完成形なのだろう。

 

 オオタカや馬に導かれ、ようやく足を踏み出した。

 私にとっての東京クラシックは始まったばかりだ。


東京クラシッククラブ

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2016年2月26日 (金)

翼の折れたエンジェル

 …という歌があった。
 私には、「翼を自ら折った天使」とひそかに名付けた友がいる。
 控えめに笑い、コソコソと物陰を這うように生き、けれども、その人の周りには、いつも清冽な風が吹いている。

 追っかけていくべきものが少しずつわかってきた気がする。
 屋根の上から見た、青から赤へ移ろい変わるスクリーン。
 無限の空に、黒いシルエットの木々が浮かぶ。
 見ている自分もそんな黒いシルエットの一つ。
 翼はどこにあるのだろう?
 それは目には見えない。多分、自分の背中についている。
 目を閉じる。飛んだ記憶など無いのに、冷たい風を全身に受け、空腹で、それをむしろ誇らしく思い、高揚して透き通った頭で、遥か下の出来事を望遠鏡のような目で眺め見る。

 自分の中に揺るぎないものがある人は美しい。
 全ての生き物への愛、自然への畏敬の念。
 本当の美は、常に見えないものの中にあって、一瞬も留まることを知らず、常に襤褸をまとっていて、おのれの素顔を隠す。
 それは、宇宙の調和そのもの。
 星の冷徹なまでの規則性とそれを破壊する混沌が、私達の細胞一つ一つ、それを形作る原子の一つ一つに刻み込まれている。
 宇宙の無限の大きさも私達の細胞の小ささも存在の意味はみな同じ。

 その人に会うと、こわいものが一つずつ消えていき、それが勇気に変わる。
 短い人生で、私が生きる意味をおしえてくれる。

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2015年11月22日 (日)

牛舎8号5周年記念公演・グンデル神楽クスモサリ三成挨拶(要約)

 本日は、牛舎8号・5周年記念公演「グンデル神楽クスモサリ」にお越しくださり、ありがとうございます。

 牛舎8号の元マネージャーの三成です。

 年々、格段にスゴクなっていく、このグンデル神楽クスモサリ、楽しみにされている方も多いのではないでしょうか?

 隣の牛8カフェ・スペースでは、おーぼん・あくいゆさんのディナー、さとるマスターのバー、Spaiceコーヒーさんも来てくれてますので、上演後もどうぞ、カフェでごゆっくりしていってください。

 

 昨年の4周年の際に、5周年を迎えられるかどうか非常に心もとないと言いましたが、こうして無事に5周年を迎えることができたのも、皆様のあたたかい応援のおかげです。

 心から御礼申し上げます。

 さて、先ほど、「無事に」とは言いましたが、私自身は既にこの農場を退社しております。今後は、外部から関わらせて頂く形で鶏卵牧場さんとはお付き合いさせていただくことになっております。

 5年と半年前、村石社長にお声がけ頂き、使われなくなって、廃墟のようになっていた牛舎・鶏舎を糞掃除から始め、傷んだところを修理・改装し、無農薬野菜の直売所としての店作りを始めました。

 内装は、不用品をもらったり、リサイクル・センターでゴミとして捨てられていたものを拾ったりしながら、つくっていきました。最初に設計ありきではなく、この場所に来たモノに聞き、その居場所を見つけてやるのが私の仕事でした。

 モノだけではなく、場所ができてくると人も集まってくるようになりました。

 人が集まり始めたので、ステージをつくり、カフェやバー、ギャラリー、ドッグラン、貸農園もつくりました。

 農場全体をつかってのパフォーマンスフェスティバルも行い、馬のハヤテもやってきました。

 

 この5年間、私は、牛舎8号に育てられたと言っても過言ではありません。

牛舎8号はさながら、海の上を漂う船のようでした。

 その船は、半分くらい水が入り込んで、半ば沈没しているのですが、いつも良い風が吹いていて、色んな世界に連れて行ってくれました。

 甲板には、色も大きさも飛び方も違うたくさんの鳥達がやってきて、多くのことをおしえてくれました。

 ある日、一羽の立派な鷹がやってきました。

そして、おしえてくれました。

それは、私自身も鳥であり、翼を持っているということです。

 

 鳥といえば、ここは養鶏場です。

 ひょっとして、私は、鳥は鳥でもニワトリかもしれません。

 飛べない鳥の代表であるニワトリですが、ニワトリも鳥である以上、昔は飛べたはずです。

 安穏とした生活の中で、飛ぶ必要がなくなってしまった為に飛べなくなってしまったのではないでしょうか?

 だとしたら、もう一度、飛ぼうという意志を強く持てば、飛べるようになるはずです。

自分の代が駄目だとしても次の代、または、その次の代で。

ニワトリにはニワトリの幸せがあるかもしれません。

けれども、私は飛ぶことを選択しました。

鳥や飛行機は、飛び立つ時は追い風ではなく、向かい風を捕まえて空高く飛翔すると言います。

ここ牛舎8号のある鶏卵牧場も、追い風を待つ船から、逆風を捕まえて飛翔する飛行船になっていけるよう願い、応援しています。

 

今後、どのような形でみなさんとお会いできるかはわかりませんが、いつか、またどこかで、牛舎8号に関わってくださった全てのみなさんとお会いできる日を確信しております。

村石社長をはじめ鶏卵牧場のみなさん、たべ・けんぞうさん、のりこさん、手塚さん、直美さん、ホンダサウンドワークスさん、Zenさん、うちの家族、橋川お父さんお母さんはじめ831倶楽部のみなさん、ばすくん、おーぼんさん始め料理人のみなさん、さとるマスター、入船亭扇海さんはじめ落語家のみなさん、三雲いおりさんはじめパフォーマーのみなさん、ベリーダンサーのみなさん、引退馬協会さん、ハヤテの名誉馬主さん、そして今は亡きDavid…、今日まで、牛8に関わってくださった全ての人々のお名前をあげることはできませんが、心からの感謝の気持ちを捧げます。

本当にありがとうございました。

引き続き、ショーをお楽しみ下さい。

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2015年6月26日 (金)

Albatros

 船底にぽっかりと空いた大きな穴から入り込む海水は、乗組員が汲み出すより早く船を沈めにかかっているように見えた。

 実際、船室の大半は海水で満たされ、沈み込んだ船体の進む速度は恐ろしくのろまだった。

 終わりそうで終わらない永遠の航海。

しかしながら、甲板にはまだ日が燦々と降り注いで水しぶきをキラキラと輝かせていたし、風は帆をいっぱいにふくらませて、潮風に湿りがちな衣類を気持ちよく乾かしてくれた。

船底に空いた大穴の周りには、鯨の腹のように、ギザギザ火山のフジツボがびっしりとしがみつき、竜宮城のように色鮮やかなイソギンチャクや海草がひらひらと取りついて、海水の侵入する速度を少しは和らげているように見えた。

 甲板から船室へ続くハッチを開け、穴の空いたバケツで気休めに船内の海水を汲み出す。

そこは既に生簀さながら、船底の大穴から入り込んだ海の生き物達…優雅にヒレをくねらせるものから、異形の海の魑魅魍魎まで…が我が物顔で泳ぎまわり、時折、水中で、ヌルリとした目玉が日の光にキラリと光る。

 水面下へ降りていく階段に斜めに光が差し込んで、その奥の扉をゆらゆらと揺らしている。

 長年使われてきたはずのその扉は、牧草のように生い茂った海藻にびっしりと覆われて、壁との区別がなくなっている。

 居住スペースがすっかり浸水してしまったので、海上を流れてくる流木を拾い集めて甲板の上に小さな家を建てた。

 流木だけではなく、海には人の作り出すありとあらゆる「ゴミ」が流れてきた。

そのおかげで、小さな甲板上の家には、台所も洗面所も、昼寝用のハンモックから窓際の観葉植物まで生活に必要な全てのものがあった。

しかしながら、そこは海の上。年に数回、気まぐれな大嵐が、この「航海する沈没船」を通過する。

遠い島影を探すのにも疲れ、甲板の上に寝そべり、柔らかい海風に吹かれる生活もつかの間、みるみるうちに黒雲が空を覆い始めたかと思うと、猛烈な豪雨と突風が船を襲う。

黒い海と灰色の空の境界がわからなくなるくらい、何日も凶暴で残酷な波と風に翻弄されるものの、船は半ば海に沈み込んでいるのが幸い、どうにか、いつも持ちこたえることができる。

が、流木の家は、跡形もなく吹き飛ばされてしまう。

建てては壊され、また流木を拾い集めてはまた建てる。その繰り返し。

嵐の後の、きれいに洗われて水に濡れ光る甲板。

嵐の際、デス・マスト(帆柱が折れる)を避けるため、ナイフで切ったロープを結びなおす。風に切り裂かれた帆布は、それでも帆桁に取り付いて、少しでも船に推進力を与えようと再び真っ白に膨らんだ。

嵐の余韻を残しつつ、静まりかえった海は無限の広がりを見せている。

水平線の上に見た一羽のアホウドリ。

その海鳥は、透明な風に翼を乗せて、海よりも広い無限の空を自由に舞っている。

あのアホウドリのように、自由に空を飛んでみたい。

人からどのように呼ばれようと。

流木は、いつでも、海の上を流れてくる。

今度は、家ではなく、小さな飛行機をつくろう。

流木で骨組みを作り、切り裂かれた帆布で翼を張って。

いつか、甲板から飛び立てる。

その日を夢見て。

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とある船の上で見た白昼夢。

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2015年2月23日 (月)

ハヤテ

 毎朝、顔を見合わせると、鼻息荒く寄ってくる。

 互いの白い息が混じり合い、甘い牧草の匂いに包まれる。

 私の至福の瞬間だ。

 そわそわとして、早く外に出たそうに、馬房の中庭をウロウロするハヤテ。

 急かされるように、大きな馬着を外して柵に掛ける。

 ハヤテの額の広い大きな顔に無口をつけて、両側に引き綱の両端のカラビナをつけて即席の手綱にする。

柵戸を開けて、外に出すと、放牧場へ向けてスタスタと歩き出そうとするハヤテ。

手綱をひいて抑えながら、少なめのたてがみと一緒にしっかりと握り、右手はハヤテの滑らかな背中の上に置く。

 膝を1、2と屈伸させて、3でエイヤッと背の高いハヤテの背中に跳び上がる。

 ハヤテの背中の上で腹ばいになり、向こう側に頭から落っこちないように(一度、勢い余って落っこちた)、鞍馬の要領で体を回転させ、右足をぐるっと回す。

 ハヤテは、そんな悪戦苦闘する私を尻目に、スタスタと放牧場へと歩き出す。

 柔らかな草の生えた土の上に来ると、手綱をやや控え、片足を後ろに引いて合図を送る。

 待ってましたとばかりに疾風のように駆け出すハヤテ。

 鞭も拍車も使わなくても、自分から走り出す。

 走りたいから走ってる。

 馬としては高齢の20歳。

それでも、馬は、やっぱり、走るのが好きなんだなと嬉しくなる。

 風が止まると消えてしまうように、馬も生きている限り走り続けたいのだなと思った。

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写真:楯岡由紀さん

 

 ハヤテが牧場に来て3週間が経った。

最初は、どうなることかと思ったが、幸い、私の中に馬の形をしたDNAが組み込まれているようで、多くの人達の助言を仰ぎながらも、どうにかこうにか、この牧場に最適なハヤテとの共存方法を見つけ出しつつある。

馬房に閉じ込めて、一日1時間ほど運動をさせて、一日34回餌をやるというのが多頭飼いで忙しい馬牧場でのスタンダードな飼い方かもしれないが、ここは15町歩もある広大な牧場で、馬が一頭だけという贅沢な環境だ。

できるだけ、昼夜放牧に近い形で、馬も人もストレスのない飼い方をしたいと考えた。

広大な放牧地全体を牧柵で囲うことはできるが、金銭的・時間的・労力的な問題に加えて、人との境界はなるべく物理的でないものに頼りたいと考えた。

馬と人はもちろん違う。けれども、馬と人との間にも信頼関係は成り立つはずだ。

ここでの問題は、一頭だけのハヤテを放牧すると、どこかに逃げてしまうのではないか?ということではなく、群れが基本の馬であるハヤテは一頭でいることにほんの数分ですら耐えられないということだ。

私でなくとも、誰か人が付き添ってさえいれば、あちこち視界の届く範囲で移動して草を食む。

だが、そ~っと付き添いが姿を消すと、視界から人の姿が消えたのに気づいた途端、駆け足で追ってきて、大声でいなないて孤独を訴える。

姿を見せると、そばへと寄ってきて、また何事もなかったように草を食むか馬小屋への道を歩き出す。

 

1放牧場は、なだらかな丘になっていて、牧場に入っていくと、最初に目に入る緑の牧草地だ。

馬小屋からそこへの道は簡単だし、卵採りの作業員さん達も途中にいるので、だいぶん場所慣れしてくれたようで、ある程度は一人にしておいても大丈夫になった。

1~2時間位して、満腹になるか寂しくなれば、道草を食みながら、自分で歩いて帰ってきて開け放しておいた馬小屋の中に自分で入るようになった。

2放牧場は、別の丘の上にある堆肥舎の奥にある。離れているので、なかなか一人でいることに慣れてくれなかったが、広くて、ハヤテが好きな草も豊富にあるので、なんとか1時間でも一人でいてくれないかと思案した。

馬は、犬よりも人の個体識別能力が甘いようだ。そこを利用しようと思った。

竹を切ってきて十時に組み合わせ、てっぺんにはペンキの空き缶をかぶせ、破れのひどい愛用のヤッケを着せて私の分身(かかし)を作った。それを放牧場の隅に置いてみた。

結果は思った以上の成功をおさめた。時間以上経ってもいななかず、かかしの見える範囲で無心に草を食んでいる。

ただし、影武者とソ~っと入れ替わるように立ち去らないとハヤテも慌ててついてくる。

大体、1~2時間でお腹が一杯になって、馬小屋に帰りたくなっても、パニックして一人で来た道を駆け戻ることもなく、かかしのそばに所在なげに突っ立って、

「早く帰ろうよ!」

と、いなないて催促する。

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私はそれを聞くと、やりかけの仕事を投げ出して、慌てて迎えに走る。

触られるのがあまり好きではないハヤテだが、そんな時は首筋に抱きついてもいやがらない。

私の大きなテディ・ベア。

 

ハヤテが来てくれて本当に良かった。

ハヤテを紹介して下さった引退馬協会さん。

直接の譲り主である警視庁騎馬隊のみなさん。

受け入れを快く許してくれた鶏卵牧場の村石社長。

ハヤテを応援して下さる名誉馬主さんはじめ多くの人々。

心から、お礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

今後とも、ハヤテをよろしくお願い申し上げます。

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2015年2月 4日 (水)

疾風

 

 

 少年の頃、港から見た水平線はどこまでもキラキラと輝いていて、その先の世界を夢見ることができた。

 

 蜃気楼にかげる砂漠から見た地平線。

その先には、一体何があるのだろう?

 任務を解かれた老兵は、足裏の鉄を外されたにも関わらず、重い足どりで、一歩また一歩と、砂を踏みしめて歩いた。

 白と黒、直線とスクウェアに切り取れた完璧な世界で、過ごしてきた騎兵としての日々。

そこを退役し、彼は次の目的地へと向かっていた。

一陣の風が吹き、砂煙を上げて、蜃気楼が吹き飛ばされた。

そこに彼が見たのは、砂埃と灼熱の太陽に、化石のように風化した小さな砦。

 それは、実は流砂に少しずつ飲み込まれつつある宇宙船だと人は言う。

再び宇宙へと飛び立つ気配はなかったが、心臓部のオレンジ色の原子炉は、脈々と毒々しいその命を宿していて、いつ大爆発するかもしれぬ危険性をはらみながらも、無限のエネルギーを細々と供給していた。

 どこからともなく集まってきた旅人達が、それぞれの特技と知識を活かして、その宇宙船を中心に、家を建て、井戸を掘り、作物を育て、家畜を飼い…、いつの間にか、水と緑のあふれる、知る人ぞ知る旅人の交流地点になった。

 そのオアシスは、まるで、砂漠に浮かぶ一粒の水滴のように、緑と命に満ち溢れた儚くも小さな地球そのものだった。

 

 ローフードの先生の弥希ちゃんがおしえてくれた引退馬協会の紹介で、東京都の警視庁騎馬隊から引退馬が鶏卵牧場にくることになった。

 名前はハヤテ。

 20歳の老兵だ。

 都内を中心に、子ども達をはじめ、多くの人達に愛されてきた。

 警視庁騎馬隊小隊長さんのご好意で、鶏卵牧場に連れてくる前に、普段は、立ち入り禁止の馬事公苑の奥にある厩舎を案内して頂いた。

 ハヤテとの初対面。

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思ったよりでかい!

ほんの一瞬、初対面のピリッとした緊張感がお互いの間を走った。

ハヤテは、パクッと私の手を噛む振り(お茶目)をした。

 もちろん、今まで、人を傷つけたことなど一度もない。

個体(人)を識別する能力の高い賢い馬だと思った。

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 小隊長さんが馬事公苑内をいろいろと案内して下さった。

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 ハヤテの走る姿を見ているうちに、最初、感じていた重い責任から来る緊張が徐々にほぐれて消えていき、代わりに、ハヤテが来る喜びが心を満たしていった。

 

 自分で、一から準備をして、馬を飼うという責任と喜び!

 

 ずっと前から、馬を飼いたいと思っていた。けれども、必要面積の広さと大動物を飼うという責任の重さに、なかなか行動に踏み切れずにいた。

馬を飼うなら、狭い敷地に閉じ込めず、できるだけ人間と同じ動線で飼いたいと考えていた。

 鶏卵牧場の村石社長に出会い、ようやく、少し夢へと近づくことができた。

 ハヤテだけでなく、できるだけ多くの引退馬や、他の家畜を含む動物達が幸せな生活を送れる環境をつくりたい。そのことが動物だけではなく、間違いなく私達人間にとっても幸せな環境となるからだ。

 

 オーストラリアやニュージーランドでは、野生の馬達を捕まえて調教し、飼い慣らす本物のカウボーイ・カウガールの中で共に生活させてもらい、馬と人との境界線の低さに憧れた。

 

 ニュージーランドのとある牧場は、360°見渡す限りが一つの牧場で、馬も牛も昼夜放牧されていた。

ゆるやかな黄緑色の牧草地の合間に、濃い緑の森が点在している。

岩のゴロゴロした砂埃の立つ道を、引き綱を一本持って、丘から丘へ、森に隠れた馬をさがしに歩くのが日課だった。  

そこかしこに、ちらほらと白や灰色や茶色やいろんな色の馬が草を食んでいるのが見える。

 森の外れに、ぼんやりと立つ目的の馬「Ricardo」を見つけると、斜め前から、脅かさぬよう名前を呼びながら、少しずつ近づいていく。

 彼はこちらに気づき、大きく頭を振るが、逃げるそぶりはない。

 (ニンジンは忘れたが、)手を差し出し、声を掛けながら、ゆっくりと近づく。近づくと、牧草そのものの様な甘い馬の香りがフワッと鼻孔をくすぐった。

ビロードのようになめらかな首筋を撫でながら、引き綱をゆっくりと首に掛ける。頃合いを見計らい、左手でたてがみをグッとつかむと、裸のまま飛び乗った。

彼はいやがることもなく、小道の方へと歩き出す。けれども、無口も頭絡もつけていないので、あっちを見たりこっちを見たりと方向が定まらない。背の上から手を伸ばし、時々馬の顔を前方に向けてやる。と、その時、何かに驚いたのか、この無礼ないたずら者を懲らしめてやろうと思ったのか、彼は不意に駆けだした。

不意打ちを喰らって、バランスを崩した私は、岩のゴロゴロした道の砂埃の中に落とされた。

落馬が日常化していた当時の私は、落ち方だけは上手だった(?)ので、どこをひどくぶつけるということもなく、苦笑いしながら、地面から体を起こした。

気を取り直して立ち上がると、髪やズボンの砂埃を手で払い落とした。

彼は道のちょっと先で、何事もなかったようにすまして立っていた。

 

 馬事公苑で馬運車と13時に待ち合わせ。

 牛を運んでいた箱トラックでハヤテを運ぶつもりが、私の詰めの甘さが祟って、ハヤテには箱の天井高が足りないということがわかり、急遽、引退馬協会さんに馬運車を紹介してもらった。

 予想以上に立派な馬運車とイグレットの素敵なドライバー田原さん。

 騎馬隊のハヤテの面倒を見ていた凛々しいおねえさんも、ハヤテとの別れに涙ぐむ。

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 小隊長さんが、ご好意で、乾草等の餌や馬で使う貴重な道具類をたくさんくださり、隊員さん達が馬運車に積んでくださった。

 

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 アクアラインを突っ走り、田舎の山道を田原さんと談笑しながらガタゴトと走り抜け、馬事公苑から2時間半で、鶏卵牧場に着いた。

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 最初は、やはり少し落ち着きがなかったが、思ったより早くリラックスしてくれたようだ。

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 出迎えのみんなが帰って、投光器一つの明かりで照らされた「牛舎3号」の馬小屋は、なんとなくイエス・キリストが、生まれた場所みたいな神々しい雰囲気になって、こっそりと一杯だけハヤテと祝杯をあげた。

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 ハヤテが馬小屋に落ち着くと、外に出て、牧場の夜空を眺めた。

 2月の星空は、どこまでも澄んでいて、透明で氷のように冷たい海の底に、無数の星々がひっそりと輝いていた。

 

 

 夜、老兵が、砂漠から見た地平線。

 そこには、星空を散りばめた黒い宇宙の水平線が、180°逆さまに、頭上に、無限に広がっていた。

 流砂の中の宇宙船は、永遠に飛ばないかもしれない。

 けれども、私の想いは、疾風と共に、どこまでも黒い水平線の向こうを夢見て飛んでいく。

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2014年11月 3日 (月)

11.1.F.R.鶏卵牧場 牛舎8号4周年記念公演 グンデル神楽クスモサリでの挨拶

 当日、来られなかったお世話になった人達へ、挨拶文をブログに載せさせていただきます。以下↓


 鶏卵牧場、牛舎8号マネージャーの三成です。

 本日は、牛舎84周年記念公演グンデル神楽クスモサリにお越しくださり、ありがとうございます。

 本日は、イノオヒロミさん始め多数の踊り手さん、キクチノリコさん率いるクスモサリのガムラン演奏をお楽しみください。

挨拶は短くすませたいと思います。

 

 ご存知の方も多いと思いますが、この農場は鶏だけでなく牛も飼っておりました。ここも、牛がお産するための元牛舎でした。屋根は雨漏りし、床の水たまりには苔が生えておりました。床も柱も牛の糞がこびりついておりました。

 食べ物を生産する場というのは、必ずしもきれいなところばかりではありません。臭いもありますし、糞尿は毎日出ます。全てのものも同じで、美しいものと汚いものは表裏一体だと思います。

芸術も同じだと思います。人には暗闇の部分があるからこそ、美しいものに惹かれるのだと思います。

 

 今、農業は大変な危機に立たされています。

 グローバルな投機筋やバイオ燃料の普及によって餌である穀物の値段が高騰し、追い討ちをかけるように福島の原発事故の影響を受け、畜産業界、いや日本の農業全体が壊滅的な被害を受けました。

 牛も鶏も縮小していこうという企業方針の中、空いていった牛舎や鶏舎を利用して、生き残り戦略としてファームリゾート化を進めて参りました。

 しかしながら、私達の本来の生業は農業であり、食べ物の生産であります。そして、実はそれこそが本当の観光であり、エンターテイメントだと思うのです。

 このグンデル神楽もバリで、作物の収穫を祝う祭りで神に感謝を捧げる音楽と踊りです。農業と芸術は、本来切り離すことが出来ません。今日、このように華やかな公演が出来るのも、牛達が肉として売られ、鶏達が卵を産んでくれ、野菜やお米が収穫されたからです。

 

 みなさんが今日、いらっしゃる牛舎7号。

 冬寒く、夏暑い、屋根があるだけましの文字通りの「小屋」です。すきま風もビュービュー吹き込んできますし、空調設備もありません。

 けれども、このような山奥の元家畜小屋でこんな素晴らしい音楽と踊りが見られるという意外性を楽しんでみてください。

 例えば、バリ旅行に来て、観光地から離れた、とある山奥の農村に紛れ込んでしまったら、そこで、とんでもない華やかな祭りに出くわしてしまった…。

そんなつもりで、寒いですが、ここも舞台装置の一つとして楽しんでみて下さい。

 

 ここが4年間もやってこられたのは、村石社長の懐の大きさと、牛8を支えてくださった皆様の、イキな友情、大きな愛情、文化や芸術を楽しむゆとり、生ける物への慈しみ、なんかよくわからないけれども、おもしろそうだな~という遊び心、全てがあったからこそだと思います。

 まだまだ、農業の世界は厳しく、正直、5周年をむかえられるかどうかもわかりません。

けれども、皆様と共に明るい希望をもって、また農業法人としての誇りを持って、末永く楽しみながら開拓していきたいと思います。

 

 今日という日を迎えさせていただきまして、本当にありがとうございます。

 これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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