子ども縁日
自ら死のうとしたことはなかったが、死んでもいいと思ったことはあった。
正確には、本当にしたいことをする為には、死んでも仕方がないと思っていた。
カンボジアの外国人立ち入り禁止区域に入った時や、外国人退去命令の出ていたアフガニスタンに入った時は、事実を知るためには、死という最大のリスクを負ってでも、自分自身の目で見るしかないと思っていた。
随分と前に撮ったアフガンでの写真が白いスクリーンに映し出された。
見えない銃弾が岩陰からパパパパンッと飛んでくる。どことなく緊張感のない銃撃戦の礫漠を抜けた後、パンク修理に追われる乗合バス。後部ドアに大きく書かれた「東京ちんみ」。
22名の年齢も性格も趣味も経歴も違う人々が、喰いついてくるのを感じた。ツカミはバッチリだ。
「まちづくり」NPO代表のKさんが、ハローワークの新しいカリキュラムで職業人講話の講師としての仕事を、手塚さんを通じて私にオファーしてくれた。
牛舎8号やおんじゅくオーガニックの活動を話してくれと言うのだ。
一日限り。50分×3コマの「授業」。
手塚さんはともかく、私はどちらかというとハローワークにお世話になりっ放しの人間だ。人様に教えるような立場ではない。
躊躇したが、少なくとも、手塚さんの背中を見てきた私だ。今しかできないその申し出をありがたく受けることにした。
いざ、始めてみると、みんなの反応が心地よくて、私の「自己紹介」はどんどん脱線していった。
カンボジアの立入禁止区域は、実はルビーと香木の産地で、マフィアがそれらを守る為に軍隊を使って村人を追い出したり殺したりしているという事実。
そのパイリンという村では、雨の後、地面からルビーの原石が涌いてくる。ほとんどの村人がルビーの原石を手の平いっぱい持っているにもかかわらず、クメール・ルージュの圧政と厳罰により、扉に鍵を掛ける必要がまったくないくらい治安が良い。
世界3大地雷地帯の二つがあるのが、アフガンとカンボジア(もう一つは旧ユーゴ)。一本のハケを手に、腹ばいで地雷を探し、信管を抜いて不発弾にするdeminer(ディマイナー)という「職業」がある。地雷の金属ケースを屑鉄屋に売って生計をたてる。金属ケースには無数の縦横縞が入っている。爆発の際、粉々に飛び散り、生き物を傷つける為だ。その金属ケースはわずか1ドルにしかならない。
話すつもりもなかったし、忘れていたことが、次から次へと頭の隅から涌いてきて、私の「自己紹介」はひどく長いものになった。
その後、たっぷりと時間を掛けて、みんなにも自己紹介してもらった。
50分1コマと念を押されていたのに、結局、一コマ目は80分位掛かって終了。
どちらが先生だか生徒だかわからないようなすごい面子で、最初は試されているように感じていた彼らの視線が、明るくてあたたかいものになった。
その3日後、牛舎8号で子ども縁日が行われた。
蛙の企画・主催で多くのママさん、仲間達が協力してくれた。
当日は、あいにくの雨。
が、蛙と子どもは雨が大好きだ。
「せっかくの浴衣がびしょ濡れになる。」
「放射能があるから。」
と、やきもきしているのは人間の大人だけだ。
金魚すくい、かたぬき、お菓子すくい、輪投げ、宝つり、ヨーヨーつり、ラッキーナンバー・フィッシング…。
屋台や移動カフェもある。
水たまりなんか気にしない。空からの放射能も気にしない。
子ども達は無意味な奇声をあげて駆け回る。
「もう一回やりたい!」
と駄々をこねて泣く子ども。
ただ、純粋に楽しむだけのイベント。
こども達の喜ぶ姿が見たい、その一心だけで一生懸命な大人達。
雨は昼頃には止んだ。
大きな虹が空にかかっていたに違いないが、みんな子ども達の笑顔を追うのに必死で、空を見上げる余裕なんてなかった。
事実を知るためには、自分自身の目で見るしかない。
それは真実だと今でも思う。
だが、その為に死んでも仕方がないとは思わなくなった。
自分より大切な命ができたからだ。
いつの間にか、私は、ただ楽しむということを忘れてしまっていた。
常に何か見えない敵を求めて、そこに自分自身の存在価値を見出そうとして…、追っていたのは、鬼と化した自分の影。
全ての終わりが近いうちに来る。巷でまことしやかに囁かれる「噂」。
懸命に、泳ぎ方もわからずに私の後を追ってくる子ども達。
そこには常に笑顔があってほしい。
それを守る為なら、ひょっとして、死んでも仕方がないのかも知れない。




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