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2016年8月

2016年8月20日 (土)

飛べないカラス

 飛べない豚はただの豚?

 飛べないカラスは何だろう?

 

 何事もなかったかのような清々しい明るい夜。

 低く、薄い雲が夜空を覆っていて、その白く輝くスクリーンの上を煌々と輝く満月が、まるで滑るように動いている。

 その月を見ながら、遥か昔の出来事のように思える、たった一日前の出来事を思い出す。

 

 カラスのぷーちゃんが死んだ。 

 記憶という保管庫に、永遠にしまい込まれようとしているその映像は、既にかび臭いモノクロで、音声もなく、ただ灰色の掛け軸に描かれた水墨画のように、一切の動を消し去ってしまっているかのように思える。

 夜10時過ぎだろうか。

 いつものように、バカの丘のてっぺんまで、車を走らせ帰ってくると、フロントガラス越しに、路上に両手で包み込めるくらいの灰色の塊が落っこちているのが見えた。

 なんとなく、いやな予感がした。

 その塊を通り越して、車を停めた。

 外は霧のような雨が降っていた。

 車を降りて、その塊をよく見ると、うちで飼っていたカラスのぷーちゃんだった。

 外傷は見当たらないが、口から血を流し、既に無数の蟻が頭にたかっていた。

 家族の一員として生きてきた動物が死んだ時、人は一種の錯乱状態というか現実逃避に陥る。

 私は、本当に死んでいるのか体中を触ってみたり、実は違うカラスなんじゃないかと辺りにぷーちゃんがいないか探してみたりした。

 (かみさん、悲しむだろうな。)

 東京に帰省中のかみさんに電話をしたが、夜遅いためか出なかった。

 暗闇にへばりついた灰色の雨は、古いフィルムについた無数のキズのように、音もなく私を包み込んだ。

 剣先スコップを持ってきて、一羽のカラスを埋める穴を掘った。

 雨も音も、スコップに伝わる衝撃も感じぬまま、黙々と穴を掘り、ぷーちゃんをその底に横たえると、無感情に土をかぶせた。


 

 2年前の春、横浜のとある建築解体現場から、たべけんぞうさんがカラスの雛を3羽レスキューしてきた。

 2羽はけんぞうさんが、1羽はうちが引き取ることになった。

 けんぞうさんちの2羽は兄弟(姉妹)がいるためか、けんぞうさんの徹底した世話が功を奏したか、一人前に空を飛べるようになった。

 一方、我が家のぷーちゃんは、親が人間だからか、幼少時に求められる餌やりのハンパない頻度を甘く見て成長が遅れたためか、地上からせいぜい1m程度をバタバタと飛び跳ねるだけの飛べないカラスになってしまった。

 レスキューして、いつか大空へ戻っていってくれればいいと思って、籠の中に閉じ込めずに自由に育てたのに、飛べない為かどこへも行かず、行動範囲は見事に家の周辺だけに留まった。

 飛べないカラスを、最初は不憫に思ったが、当のぷーちゃんは、犬のおからとも仲良しになり、そのうち、ほとんどの時間をおからへの意地悪に費やすようになり、山羊や馬とも共存し、家族の一員として、それなりに人生を楽しんでいるように見えた。

 ちょんちょんと自由にあちこち飛び跳ね、時々、崖下に落っこちてレスキューされたり、そうかと思うと、一つ上の崖の上までいつの間にか自力で上がったりして、私たちを驚かせたりした。

 お気に入りは、(偽)クロックスのサンダルの穴で、いつも鋭くとがった嘴でコツコツと突いてきた。

 いつまでたっても、雛の様にエサをねだって、大きな口を開いて近づいてきたり、玄関の扉をコツコツと叩いて来客かと思わせたり、子ども達の問いかけに何種類かの鳴き声で返事をしたり、ぷーちゃんはいつの間にか、我が家に当たり前にいる愛嬌のある存在となっていた。


 嫌われ者の代表のように言われるカラス。

 

 だが、うちの家族は、カラスの鳴き声を聞くたびに、飛べないカラスのぷーちゃんを思い出し、いつまでも、懐かしい想い出に浸り続けることだろう。

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